令和になると同時に皇太子さまが天皇陛下に即位され、雅子様も皇后になられてご公務を行っていますよね。雅子さまの知的で品があるお姿は国内はもちろん、外国からも大絶賛されています。
この記事では、雅子さまと天皇陛下の馴れ初めが実は仕組まれていた、ということや国民が感動したプロポーズの言葉についてまとめました!
[quads id=6]<目次>
雅子さまのプロフィール
名前:皇后雅子
生年月日:1963年12月9日(55歳)
出生地:東京都
身長:164cm
血液型:A型
・1981年:ハーバード大学経済学部に入学する。
・1985年:ハーバード大学を卒業する。
・1986年:東京大学に外部学士入学する。
・1987年:外務省に入省する。
雅子様は、東京都で生まれていて、父親の小和田恒さんが在ソ連日本大使館の一等書記を務めるなどしていて、生まれてすぐにモスクワで過ごしています。
さらに、小和田恒さんがその後に国連で仕事をするなどしていたためにスイスやニューヨークで暮らすなどしていて、幼少の頃から様々な国で暮らしています。
当時から雅子様は海外の学校に通っていて、高校はマサチューセッツ州ベルモントハイスクールに通い、その後ハーバード大学に入学しています。
また、ハーバード大学を卒業後は東京大学に入学して、すぐに外務省に入省して外交官となっています。
外交官としては、北米局に配属されるなどして、通訳として政治家の会談などに参加するなどして大活躍していました。
また、1987年には今上天皇陛下とお会いし、1993年に納采の義が行われて正式に婚約となり、ご結婚されています。
2001年には敬宮愛子内親王をお産みになり、2019年に今上天皇陛下が即位されたことによって皇后になられています。
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雅子さまと天皇陛下(皇太子)のなれそめは仕組まれていた!?
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天皇陛下と雅子さまは結婚して以来、仲睦まじい姿を見せられていますよね。
雅子さまは皇室に嫁がれてご病気などもあって思うようにご公務ができないこともあったのですが、皇太子さまが天皇陛下になられてからは皇后として公の場に出られることも多くなっています。
そんな雅子さまは、まだ皇太子だった頃の天皇陛下との出会いが注目されています。
若い頃には将来を期待されたエリート外交官の雅子さまはどのようにして天皇陛下と出会われたのでしょうか。
天皇陛下と雅子さまが出会ったのは、1986年に東宮御所で行われたパーティーだと言われています。
このパーティーはスペインのエレナ王女を迎えるために行われたもので、雅子さまだけではなくて小和田家の家族も招かれていたのだとか。
雅子さまもお妃候補として推薦されてエレナ王女歓迎のお茶会に招かれていたと記憶しています(もちろん雅子さまの知らない所で)
そこで皇太子さまが一目惚れ(下品な言い方で失礼)されたのでしたよねちゃんとした候補ですからアンチの言うような怪しい出自ではありません。 https://t.co/3WX80OaRiT
— ひすい88 (@Mac870356) May 30, 2017
そして、このパーティーで当時皇太子だった天皇陛下と雅子さまは出会い、その後も食事をするなどして親しくなっていったと言われています。
なので、お二人の出会いはこのパーティーと言えるのですが、そうして皇太子さまと親しい関係になっていた雅子さまについてマスコミは皇太子さまの妃候補と報じるようになって日本中から大注目されるようになったのだとか。
美人であることに加えてエリート外交官という肩書もあって、雅子さまが皇太子さまの妃候補として注目されるのは当然ですよね。
しかし、そのようにマスコミの報道が過熱してしまったことから、雅子さまはイギリスの大学に留学をするなどして日本を離れたのだとか。
当時の雅子さまは、皇太子さまと結婚する意志はないと伝えていたそうなのですが、雅子さまの人柄を気に入った皇太子さまは宮内庁長官に雅子さまがお妃にふさわしいと伝えていたとも言われています。
雅子さまはお妃候補として取り上げられるようになったから、マスゴミに追い掛け回されて、待ち伏せされたり、夜遅くにお仕事を終えて帰宅された時にも、物陰から出てきたマスゴミに恐怖を抱かれたんだぞ!だから、その対処法として「名刺を戴けますか?」と言うようにご両親から助言されたの。
— yoshimama (@sumisasu) 2018年10月10日
>週刊女性の記事で雅子さまが妃候補に浮上。沢田浩は当時取材したところ、本人が御所で会ったことを認め、この人だと感じたという。情報提供者に報告すると、雅子さまは妃候補の認識がないから、記事にすると話が潰れると言われたが、スクープ掲載に踏み切った。中川融は「小和田家が心配になった。
— みずのみこ (@bluemoonstone17) 2019年6月27日
なので、その後も皇太子さまは雅子さまをあきらめずに、雅子さまが日本に帰国した後はお忍びでデートを重ねるなどしたのだとか。
その後、皇太子さまが雅子さまにプロポーズをしてご婚約となり、1993年にお二人が結婚されて日本中が大きく沸き立ったのですが、お二人のなれそめは東宮御所でのパーティーということになるようです。
ただ、そのようにパーティーで出会い、皇太子さまが雅子さまのことを気に入ったと言われているのですが、実はパーティーに雅子さまを含めた小和田家が招かれたのは将来の天皇陛下であられる皇太子さまの妃候補として雅子様を顔見せするためだったとも言われています。
なので、前々から雅子さまは皇太子さまのお妃候補の一人として決まっていたのだとか。
最近知ったホッコリエピ
雅子さまのお名前がないお妃候補リストを宮内庁長官が持ってくるたびに、今上陛下が手書きで「小和田雅子」と書き加えていらっしゃったんだって♥
父が母を好きすぎて
by 敬宮さま pic.twitter.com/mLGuLyPUdv— カノン (@kanon83939) 2019年7月9日
>以来親交もできて、雅子さまがお妃に決まったときには、お妃候補推薦の秘話を明かしていただきましたね。
雅子さまをお妃い推薦したのは東宮職参与の中川融さんですね
別ルートで久子さまと雅子さまの母優美子さんが親交があった関係で高円宮御夫妻が推薦されていたというお話もあります— みずのみこ (@bluemoonstone17) 2019年6月27日
そうしたこともあって皇太子さまと雅子さまの馴れ初めは仕組まれていたとも言われているのですが、実際に皇太子さまは雅子さまにパーティーでお会いする前から雅子さまのことを聞いていたのだそうです。
そして、実際に雅子さまにお会いし、「控えめだけれども芯のある女性」という理想通りの女性だったこともあって一目ぼれをしたと言われています。
なので、お妃候補として選ばれた雅子さまと皇太子さまは、まさに運命の二人だったのは間違いなさそうですね。
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雅子さまと天皇陛下(皇太子)のデートした場所
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天皇陛下と雅子さまは現在も仲の良いご夫婦と言われていますよね。
お二人が出会われてから結婚するまでマスコミはもちろん、日本中がお二人の関係を大注目していたのですが、そんな中で天皇陛下と雅子さまはどのようにしてデートをしていたのでしょうか。
天皇陛下と雅子さまは、東宮御所でのパーティーで出会い、その後も会食などを重ねるようなったと言われています。
会食と聞くと一般の人が行うデートをしていたように感じてしまうのですが、これはデートというよりも日英協会主催のパーティーや東宮御所で催されたお茶会やチャリティーコンサートの打ち上げなどとだったのだとか。
しかし、そうして東宮御所でのお茶会などで天皇陛下と雅子さまはほぼ毎月のようにお会いして親交を深められたようです。
また、そうして何度も雅子さまにお会いしたことで、天皇陛下は雅子さまをお妃にすることを決めたと言われています。
そして、天皇陛下は雅子さまにプロポーズをするためにマスコミに気づかれないために段ボールに隠されて千葉県にある宮内庁新居浜鴨場に移動して、雅子さまとデートをしてプロポーズをしたのだとか。
新天皇がお忍びデートに使った車かわいい。
警察にも内緒で雅子さまとデートしたらしい。 pic.twitter.com/yuFcozTZNf— KITARO FILM キタローフィルム (@kitarofilm) 2019年5月1日
雅子さまの極秘デートの話何回聞いてもキャッキャしてしまう
— 解剖 自己成長シート 講義の振り返り (@Lazy_holic_) 2019年6月9日
昨日Wikipediaで読んだ皇太子さまと雅子さまがデートしてプロポーズに発展する話があまりにも魅力的すぎたから感情移入がとんでもないくらい続いてる
— しびわん (@CouldBot01) 2019年2月24日
この時使用された車はあくまで普通の一般車だったそうなのですが、そこに天皇陛下がダンボールに隠れてお忍びで雅子さまとのデートに向ったというのは、かなり驚きの話ですよね。
もしかすると、こうしたお忍びデートは他にも何度も行われていたのかもしれないのですが、お立場上デートをするのにもかなりご苦労様されたようです。
国民が感動した天皇陛下(皇太子)のプロポーズの言葉とは
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天皇陛下は雅子さまに千葉県にある新浜鴨場でプロポーズをしたと言われています。
そして、気になるプロポーズの言葉は「わたくしと結婚してくれますか?」というものだったのだとか。
学識も豊かな天皇陛下であるものの、シンプルでストレートなプロポーズの言葉ですよね。
ただ、そうして天皇陛下にプロポーズをされたものの、雅子さまは今後も外務省の職員として仕事をしたいと考えていたこともあってすぐに返事はしなかったのだとか。
やはり、プロポーズを受け入れれば皇室入りをして仕事は辞めることになるので、そこのところをかなり悩んだと言われています。
雅子さまはその後、様々なことを考えてかなり悩まれて、体調を崩して仕事を休んだこともあったのだとか。
しかし、そんな雅子さまの状態をお聞きになった天皇陛下は「皇室に入られることにはいろいろ不安もおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから。」と伝えたのだそうです。
さらに、1992年の12月9日の雅子さまの誕生日には、日付が変わると同時に雅子さまに電話をして誕生日をお祝いするなどしたのだとか。
そうした天皇陛下の熱意に打たれて雅子さまは「本当に私でよろしいのでしょうか」とお聞きになり、「お受けいたします限りは、殿下にお幸せになっていただけるように、そして私自身もいい人生だったと振り返られるような人生にできるよう努力したいと思います。」と言われてプロポーズをお受けになったのだそうです。
雅子さまがプロポーズをお受けになるまでに天皇陛下は三回もプロポーズをしたと言われているのですが、それだけ天皇陛下は雅子さまに惹かれていたようですね。
雅子さまと新天皇陛下の馴れ初めが本当に好きで好きで…。ただの「良いエピソード」とかでなく、キャリアのこと含めてきっと色々悩まれたんだろうな、そしてその悩まを知っていても雅子さまじゃないとと一途に思い続けて「全力で一生お守りします」と伝えた天皇陛下。
本当に好きです。
— あいね@reylo民 (@aatarou_aatarou) 2019年5月1日
皇太子さまと雅子さまの馴れ初めとか見てると涙出てきてしまう。歳か。
— ぱんな (@pan15oO) 2019年1月26日
雅子さまと天皇さまの馴れ初めとかほんのりとしか記憶しかなくて(まだ小さい頃だったので)改めて番組で紹介されて雅子さまの素晴らしい経歴、当時皇太子さまの「私が一生お守りします」って愛情溢れるお言葉。これを期に皇室のことお勉強しようかな?
— ミク (@aidubushi) 2019年5月1日
また、そうした天皇陛下の一途な想いとストレートなプロポーズの言葉に感動する人も多くいるのだとか。
確かに女性なら一度はこうした熱いプロポーズをされたいですよね。
そして、雅子さまが天皇陛下からのプロポーズをお受けしたことから、1993年1月19日に婚約が内定し、4月12日に納采の義を行い、6月に結婚の儀と祝賀パレードが行われました。
祝賀パレードはテレビで放映されて、日本中が皇太子であられた天皇陛下と雅子さまのご結婚を祝福したのですが、まだお若い頃の天皇陛下と雅子さまの幸せそうな姿は今も多くの人の心に刻まれています。
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まとめ
天皇陛下と雅子さまはその馴れ初めが今も大注目されているのですが、バリバリのキャリアウーマンとして働いていた雅子さまを天皇陛下が三回もプロポーズをしてご結婚されたというのは、今も様々なところで話題になっています。
さらに、お二人は東宮御所でのパーティーで出会われたと言われているものの、その前から雅子さまは天皇陛下の妃候補として選ばれていたというのは意外でした。
しかし、そんな雅子様に天皇陛下が一目ぼれをして、熱烈なアタックをされてご結婚されたということで、まさにお二人は結ばれるべくして結ばれたということがわかりますよね。
今後もそんな雅子さまと天皇陛下のお二人からは目が離せないですね。
今日もお読みいただきありがとうございました☆