ノーベル賞候補の最有力者ともいわれた
戸塚洋二氏は今回ノーベル物理学賞を
受賞した梶田隆章氏の師匠でした。
残念ながら2008年に
大腸ガンで亡くなってしまいます。
東京大学の大学院生時代はバンカラで、
研究者からは「鬼軍曹」と呼ばれたことも。
一体どんな人柄だったのでしょうか?
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血の付いた空手着を・・・
東大で大学院時代は空手部7代目の部長だった戸塚氏。
同じ研究室で働いていた
奥さまの裕子さんによると
「血の付いた空手着を椅子にかけているような
バンカラでおおらかで楽しい人だった」
だそうです。
物理学の研究者というと、
バンカラのイメージからほど遠いので
空手部の部長を務められていたとは驚きですね
しかし血の付いた空手着って・・・なんかカッコイイ
奥さまの裕子さんと並ぶと
身長の差があることから、
当時は背が高くてがっしりした体型だったんでしょうね
出典:http://www.joyoliving.co.jp/
ちなみに東大の空手部って結構強く
今年の夏の全国大会では団体戦で優勝を果たしており、
個人戦では上位入賞の選手がゴロゴロ、
まさに文武両道!
「鬼軍曹」と呼ばれた徹底した研究姿勢
スーパーカミオカンデを使った実験では、
日米100人の研究者を率いた戸塚氏。
問題点を徹底的に解明し、妥協を許さない研究姿勢は
「鬼軍曹」と呼ばれるほどでした。
2002年にノーベル物理学賞を受賞した
小柴昌俊氏の愛弟子であった戸塚氏。
1983年から小柴教授のカミオカンデの実験に参加。
頭角をあらわしサブリーダーになり、
小柴教授が退任後の87年には実験の代表者になります。
明るくプラス思考の小柴教授と、
内向的で慎重でマイナス思考の戸塚氏は
絶妙のコンビだったのですが、
リーダになってからは几帳面で内向的な性格を
明るいプラス思考に変えていくのに苦労したそうです。
もともとは豪放磊落で明るい性格のようでしたが、
研究となると性格も変わるほど
慎重だったんですね(*´ω`*)
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そんな戸塚氏は小さいころは好奇心旺盛で
物を壊しては作り直すということを
繰り替えてしていたそうです。
結婚して奥さまはそんな戸塚氏の好奇心のせいで
あるものを分解され困ってしまうというエピソード
はすっごくほほえましいです(*´ω`*)
好奇心旺盛でとことんのめりこむ性格
子供のころは物を壊しては作ることを
繰り返していたそうで、奥さまがミシンを使っていると
分解してみたり、
花や木についてなぜその形なのかを
調べてみたりと好奇心の塊のようだったそうです。
植物についても興味を持っていたとは意外でした(*”ω”*)
奥さまも使っていたミシンを分解されたときは
「またか」
というような気持ちだったんでしょうね(*´ω`*)
研究が好きで現場が好きで仕事がなにより大好き
だった戸塚氏。
その仕事ぶりは精力的だったそうです。
精力的な仕事ぶり
物理学の世界は実験がベースとなっているので、
カミオカンデのような特殊な測定器を作るために
設計や資金集め政治的な交渉など様々な仕事があり
大変だそうです。
それでも、それが楽しいと精力的に取り組んでいた戸塚氏。
奥さまの裕子さんによると、
千葉県の自宅には週に1回東京で会議のある日しか帰らない。
寝るために帰ってくるような生活だったそうです。
なんだかパワフルですね~
「新しいことへのチャレンジが大好きで、何事にも全力で取り組む研究者魂の持ち主だった。スーパーカミオカンデという観測施設で事故が起こったときに、あの人が再起に向けて皆を奮起させたエネルギーとリーダーシップは今も忘れられない。あの人が生きていれば、どんな新たな発見をしてくれたかと思うと残念でなりません」
引用元:がんサポートより
この言葉は今回ノーベル賞を受賞した梶田隆章氏によるものです。
小柴教授も、戸塚氏の葬儀で
もっと長生きしてくれれば
日本中を喜ばすことができたのに、
といった内容の弔辞を読みました。
ノーベル賞の受賞を確信
していたんでしょうね。
梶田氏がノーベル賞を受賞したことで、
実はこんなにも精力的で優秀な研究者がいたことを
知ることができました。
2008年にガンでこの世を去りますが、
最後の研究は
ガンにむしばまれていく自信の身体でした。
余命宣告を受けた2007年に闘病記のブログをはじめ、
亡くなる8日前までブログを更新し続けていました。
脳に転移した画像をとる時に
自分もこの目で見たいといって
医者を驚かせたほどの研究魂。
かと思えば深夜に死の恐怖に飛び起きてしまうこともあり、
奥さまに愚痴を言ってしまい
精神的に追い詰めてしまうこともあったそうです。
戸塚氏についてこの記事を書くにあたり、
色々と調べるにつれ戸塚氏の死は物理界にとって大きな損失だった
という印象を受けました。
きっと、もっとやりたいこと研究したいことが
山ほどあったことと思います。
大腸がんは早期発見できれば完治する病気です。
もっと早く病院に行っていれば早期発見できたはずです。
そうすれば、梶田氏の言う通りもっと新しい発見をしたかもしれません。
残念でなりません。
志半ばでこの世を去った戸塚洋二氏、
梶田氏がノーベル賞を受賞したしたことを
きっと喜んでいることでしょう。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました♪