平成も終わり、ついに雅子皇后が誕生しました。
一般人だった雅子さまが皇室に入ってから早25年。
その雅子さまには独身時代にお付き合いをしていた男性がいたそうです。
一般人ですからね、若い女性に恋人がいるのはおかしなことではありません。
だけど、気になる雅子様の男性遍歴・・・。
というわけで、この記事では雅子様の過去の男性遍歴と元カレの現在についてまとめました。
元カレの現在について驚きの事実がありました!
■雅子さまの実家の場所や妹たちと両親の現在は?
■雅子さまの病気は適応障害ではなくディスチミア症候群ってホント?
■小和田恒(雅子さまの父親)の現在は介護が必要な状況?学歴と経歴がスゴイ!
■愛子さまが優秀で偏差値72って本当?東大進学の可能性も!
雅子様のプロフィール
このお写真、好きー。雅子様キレイ😍敬宮様もかわいい✨ご病気で公務が・・・とかどうでもいいと思うよ。数ばっかりの公務で体裁整えてるより、素敵な人だな、素敵なお父さんお母さんだな、素敵なお嬢さんだな、素敵な家族だなって思える人達が日本の象徴なんて、そっちの方が尊いと思うの。 pic.twitter.com/54TPdJNXgr
— 木春菊 (@shungiku_moku) April 25, 2019
生年月日:1963年12月9日(55歳)
出身地:東京都
出身校:ハーバード大学経済学部卒業、東京大学法学部中退
小和田家の長女として生まれた雅子さま。
外交官の父親の仕事のため、1歳ころから海外を転々とし、ロシア・スイス・アメリカで生活をしました。
小・中・高は日本の学校で学びます。
高校2年生になると父親の転勤でアメリカのマサチューセッツ州ボストン市へ。
ベルモント・ハイスクールに転入し、ソフトボール部と数学クラブに所属します。
この高校で雅子さまは優秀な成績をおさめることに。
ハイスクール時代とハーバード大学在学中の優秀っぷりや東大を中退した理由など、
詳しくはこちらの記事にまとめています↓↓↓
雅子様は小学校から高校2年までを日本の学校で過ごしていることから、厳密にいうと帰国子女ではないんだとか。
帰国子女でなくとも英語はペラペラなので、あんまり関係ないかな、と思います。
1993年 皇太子と結婚。
2001年 愛子さまが誕生
2004年 適応障害と診断 病気療養へ
2019年 5月 新皇后となる
学生時代のプロフィールを見ると、本当に優秀な女性だったことがわかります。
そして、美貌の持ち主なんですよね。
雅子さまの若い頃は本当にお美しく、聡明で素敵な女性だなって思ったもんです。
雅子さまの過去の男性遍歴
聡明で美しい雅子様。
学生時代や外務首に勤務していたときは男性とお付き合いしたことがあるんだろうなって思います。
が、当然ながら具体的にどんな男性と過去、お付き合いをしたかについては全く情報はないんですよね。
むむむ、確かに未来の皇后様の過去の男性遍歴は世に出るのはいかがなものか、と思います。
もしもお付き合いをした男性がいたとしたら、その方はきっと口が裂けても
「実は元カノは、・・・」
なんてこと言うはずがないし、ペラペラ吹聴してまわるようなそんな男性とは雅子様はお付き合いしないでしょうね、きっと。
雅子様の元カレ情報なんてないだろうなー、と思って検索していたら。。。
見つけちゃいました・・・
しかもなんだか不可解なことも書いてありました・・・汗
雅子様の元カレの現在
外交官時代の雅子さまめちゃくちゃかっこええやん pic.twitter.com/Q2rmgiMYN2
— 真価社通信 (@WBOATS_end) April 30, 2019
雅子様の元カレは、外務省の先輩の奥克彦さんだと噂されています。
奥克彦さんは赴任地のイラクで銃撃を受けて亡くなりました。
2003年のことです。享年45才でした。
亡くなった時は家庭をもっていたので、まさか・・・
と思いましたが、お互い独身の頃のお付き合いだった可能性もあります。
亡くなった奥克彦さんは、早稲田大学出身でラグビー部に所属していたこともあって体格ががっちりしたスポーツマンでした。
性格もおおらかで男らしい方だったのではないかと思います。
皇太子さまとのことがなければ、二人は結婚をしたかもしれないという噂がありますが、実際のところはわかりません。
雅子様にとって、奥克彦さんは仕事ができてスポーツマンで人柄も良い憧れの先輩だったかもしれません。
雅子さまの病気のきっかけとの関係
皇太子さまが記者会見で
雅子様を、優しく
✨雅子✨と呼ばれるのが
大好きだった☺️
明日からは、✨皇后✨とおっしゃられるのかな。令和の時代が平安であります様に
🕊#平成最後の日 pic.twitter.com/Uduuom3m5q
— 桃缶 (@nikoniko858585) April 30, 2019
雅子様が長く公務から遠ざかったしまった原因は適応障害という病気でした。
適応障害により、病気療養に入ると発表されたのは2004年でした。
その前の年、2003年に元カレと噂された奥克彦さんが若くして亡くなりました。
このことにより、雅子様は元カレであった奥克彦さんの突然の死がショックで適応障害になったのでは?
と噂されましたが、一概にそういえないと思います。
確かに外務省時代にお世話になった仲の良い先輩の突然の死は、ショックだったことと思います。
一般市民として普通に生活をしていてもお世話になった先輩の突然の死はショックです。
なので数ある原因の中の一つだろうと思います。
現に奥克彦さんが亡くなる前から、雅子様は体調不良による公務の欠席も増え始めていました。
たとえ噂通りに結婚を約束していた仲だったとしても、雅子様が皇室に入ると決心してから二人は別々の道を前に進んだのは間違いありません。
雅子様が適応障害という病気になられた背景には、皇室の中で孤独だったのではないかと思います。
それは皇太子さまの「人格否定」発言で推測できます。
自分のキャリアを活かして、皇室に尽力できることはないかと模索する雅子さまと、そんなことより早くお世継ぎを望む声
との軋轢に悩んだことと思います。
皇居に嫁ぐって大変だな😭
雅子さま跡継ぎ跡継ぎ言われて辛かったろうに…
— らん (@IfExhdpDoEN9vtC) April 27, 2019
その悩みを誰にも打ち明けられず孤独に一人抱えていくことで、いっぱいいっぱいになってしまったのではないでしょうか。
適応障害と発表されてから15年がたち、次第に公務に出席する回数も増えてきた雅子様。
>>秋の園遊会(2018)での雅子様の様子は?ご体調復活の兆しが!
ご回復には愛子さまの成長も大きいのではないでしょうか?
小学生から中学生にかけて、一時期学校を休みがちな時期もありましたが無事に乗り越えて学校生活を送っています。
成績はとても優秀なんだとか!
雅子さまのDNAを感じますね~
そして、皇太子さまの存在も雅子さまにとって大きいですよね。
病気療養中の雅子さまは家事もままならない日々もあったそうです。
そのことで一時期メディアでは離婚の危機も書きたてましたが、お二人はそんなこともなく今ではそろって公務にお出かけになっています。
皇太子さまは焦らずじっくり雅子さまを見守るってきたんだろうな、と思います。
皇室は週刊誌の報道に目を通しているそうなので、きっとツライ日々もあったことでしょう。
最近ではお二人そろった姿をメディアで拝見することが増えてきて、なんだかうれしいですね。
やっぱり夫婦仲良くというお手本みたいな感じがします。
いよいよ御代が変わり、皇太子さまは天皇陛下に。
雅子さまは皇太子妃から皇后へ。
元号は平成から令和へと。
明るい未来が約束されているわけではなく、日本には少子高齢化などの課題もたくさんあります。
令和は、いったいどんな時代になっていくのでしょうか?
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました☆
■雅子さまの実家の場所や妹たちと両親の現在は?
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