1993年4月からテレビ朝日に勤務している坪井直樹さん。安定感のあるアナウンスと、穏やかな口調が特徴のベテランアナウンサーです。2013年、平日の午前中に放送されている情報番組「グッド!モーニング」の総合司会に就任し、朝の顔として親しまれるようになりました。そこで今回はテレビ朝日のアナウンス部に欠かせない逸材となっている坪井直樹さんの実家や経歴などにスポットライトを当てて解説します。
<目次>
坪井直樹の実家はどこにある?
坪井直樹さんは東京都世田谷区出身で、世田谷区東深沢小学校を卒業しています。そのため同校の通学区域である深沢エリア一帯に坪井直樹さんの実家があるのではないでしょうか。深沢エリアは桜並木が整備されている呑川親水公園や緑地があり、豊かな自然に恵まれている住宅街です。古くから先進的な土地開発が進められてきたため、洗練された外観デザインの邸宅も少なくありません。坪井直樹さんは実家の詳しい情報を明かしていませんが、深沢エリアの地域性に馴染む邸宅で生活していたのではなかと推測できますね。
坪井直樹の妻もアナウンサー?
坪井直樹さんの妻である高橋真紀子さんは慶応義塾大学理工学部を卒業した後、1995年にテレビ朝日に入った元アナウンサーです。入社1年目は早朝に放送されていた情報番組「やじうま6」の天気コーナーと情報バラエティ番組「はなきんデータH」に出演し、アナウンスの基礎を習得。その後「スーパーJチャンネル」や「スーパーモーニング」といったテレビ朝日の看板とも言える情報番組の司会を務めていました。しかし17年目の節目にアナウンス部からコンテンツビジネス局の契約著作権部に異動し、テレビの裏方業務に力を注いでいます。
坪井直樹と妻の馴れ初め
坪井直樹さんと妻である高橋真紀子さんは3つほど年齢が離れており、もともと先輩・後輩の関係でした。2人の距離が急速に縮まったきっかけは1996年。当時入社2年目の高橋真紀子さんは週末昼のワイドナショーでニュースを担当し始め、飾らないキャラがお茶の間で好評をはくしていました。一方、坪井直樹さんは平日夜の報道番組でスポーツキャスターを務め、アスリートにインタビューする機会が少なくありませんでした。そのような中、某プロ野球選手から高橋真紀子さんを紹介してほしいと頼まれたのです。
意識したきっかけ
坪井直樹さんは仕事の付き合い上、頼みを断れなかったのでしょう。初めて私的な用事で高橋真紀子さんに声をかけ、食事会を開催。しかし実際に3人で食事に行ったところ高橋真紀子さんの機知に富んだ言動を目の当たりにし、彼女に思いを寄せるようになりました。あまりにも高橋真紀子さんが魅力的だったために恋のキューピットという立場を忘れてしまったようです。後日、仕事の関係で某プロ野球選手に会うたびに「また真紀子さんと食事に行きましょう」と言われたものの「彼女は多忙みたいで」とはぐらかしていたのだとか。
報道番組で初共演
食事会の後、坪井直樹さんは同じ職場にいる高橋真紀子さんにアプローチするチャンスがいくらでもあったはずですが、特段に行動しませんでした。
再び2人が急接近したのは1997年3月に夕方の枠で放送が始まった情報番組「スーパーJチャンネル」です。初代女性MCに就任した高橋真紀子さんは原稿を下読みする時間が少ない番組の特性を考慮し、読み間違えが起きないように必死で勉強していました。初代男性サブキャスターに就任した坪井直樹さんは高橋真紀子さんの勉強熱心な姿を見て、惚れ直したらしいです。
恋の芽生え
「スーパーJチャンネル」のように2時間にわたって生放送される情報番組では、正確にニュースを伝える必要があり、読み間違えがご法度です。出演者が多大な責務を負わなければなりません。高橋真紀子さんは坪井直樹さんと助け合いながら番組進行に努める中、強い絆を育んだだけでなく特別な感情が芽生えたのでないでしょうか。
車中で告白
坪井直樹さんは高橋真紀子さんとの初共演を機に、彼女に猛アタック。仕事仲間との食事を済ませて帰る際には、自身が運転する車で高橋真紀子さんを家まで送り届けていました。この時点で双方が交際を意識していたのかもしれません。ある日いつものように2人で車に乗って帰る途中、突如として坪井直樹さんが恋愛観を説明し始め、その勢いで告白しました。入社5年目でアナウンサーとしては未熟だったものの、誰かに高橋真紀子さんを奪われたくないという思いに突き動かされたのでしょう。
極秘交際
高橋真紀子さんが告白を受け入れましたが、交際は極秘でした。なんとテレビ朝日には社内恋愛禁止という鉄の掟があったのです。周囲に気づかれないように注意しなければならないという恋の障害が2人の思いを燃え上がらせたのかもしれません。交際を重ねて入籍した時には妊娠3カ月でした。1999年に長男を、2005年に次男を出産し、円満な家庭を構築しています。夫婦そろってアナウンサーの仕事をしていた時は日曜日しか家族みんなで過ごせなかったものの、そのぶん濃密な1日を楽しんでいたらしいです。
坪井直樹の経歴
1969年8月6日に生まれた坪井直樹さん。地元の区立東深沢小学校と区立東深沢中学校を経て慶応義塾高等学校に進学しました。高校時代は音楽に熱中。バイオリンを演奏したり、バンドでドラマーを担当したりしていました。高校卒業後は慶応義塾大学法学部に進学し、20歳の頃にイギリスに単身留学。けれども渡英直後は英語を流暢に話せなかったためホームステイ先の歓迎パーティーで言葉が出てきませんでした。しかし咄嗟に日本から持参したバイオリンを演奏したところ周囲と打ち解け、1年間のイギリス留学は有意義なものだったようです。
報道に欠かせない存在に
テレビ朝日に入社して間もない頃は少々おっちょこちょいな部分があり、新入社員の研修中に「く~く~」と居眠りしていたのだとか。講師を務めていた先輩社員から「次は坪井君が読んで」と声をかけられると、必死に反応して「く~い」と言ったそうです。とはいえ入社1年目からスポーツキャスターとして活躍し、さまざまなスポーツの現場で取材のノウハウを学んでいました。1997年にニュースキャスターに転向してからは報道・情報番組において中心的な役割を担い、民法キー局の男性アナウンサーの中で屈指の実力の持ち主です。
まとめ
坪井直樹さんは30年以上にわたってテレビ朝日のアナウンサーとして勤務し続け、陰ひなたで同局の番組を支えてきた功労者です。それゆえエグゼクティブアナウンサーという要職に就き、後輩の指導・育成にも尽力しています。一方、家庭では2人の息子たちと一緒にカブトムシを育てるなど良き父親として奮闘。その経験が仕事にもいかされているのではないでしょうか。

















