北川悠仁と高島彩の馴れ初めは?子供は2人?現在も調査!

北川悠仁と高島彩の馴れ初めは?子供は2人?現在も調査!

2011年に結婚した北川悠仁と高島彩。国民的アーティストと人気フリーアナウンサーという珍しい組み合わせで世間を驚かせましたが、馴れ初めはご存知でしょうか?

公の場に揃って出ることはないので、出会いのきっかけを知らない人もいるかもしれませんね。今回は、北川悠仁と高島彩の馴れ初め、子供について解説いたします。

北川悠仁と高島彩の馴れ初め

北川悠仁と高島彩が出会ったきっかけは、2005年9月30日に放送された朝の情報番組『めざましテレビ』での共演でした。高島彩は当時番組のメイン女性キャスターをしていて、北川悠仁は『めざましどようび』にテーマソングを提供したため番組に出演。

その後、6年間の交際を経て2011年10月20日に結婚を発表しました。高島彩は結婚当初、『めざましテレビ』への手紙で「あの日の朝はこのような縁で2人が結ばれるとは思いもしなかった」と明かしています。

結婚式を挙げた?

北川悠仁と高島彩は結婚式を挙げています。

結婚発表をした日に山梨県にある身曾岐神社で挙式を挙げました。身曾岐神社は北川悠仁の母親が教主を務めている新興宗教「かむながらのみち」の総本山。そのため、挙式は超厳戒態勢の中で行われたようです。

さらに、2012年2月25日には横浜市内にある「ホテルニューグランド」で披露宴を行いました。披露宴は昼夜2回行われ、松任谷由実や小田和正など芸能関係者が多数参加したそうです。

自宅はどこ?

北川悠仁と高島彩の自宅があるのは、横浜市磯子区内です。

ネット上では住所の番地まで流出していますが、その理由は自宅の場所にありました。地下2階・地下1階の豪邸はもともと「かむながらのみち」の礼拝堂として使用されていた建物として知られています。

さらに、自宅の斜め前には北川悠仁の実家兼教団本部があるため、番地まで割り出されてしまったようです。

子供は何人?

北川悠仁と高島彩には2人の子供がいます。

子供達の性別や年齢は次のとおりです。

  • 長女:2014年2月生まれ
  • 次女:2016年6月生まれ

残念ながら、名前までは公表されていないので不明です。顔出しもしていませんが、高島彩のインスタグラムやエッセイでは、子供たちの写真が度々アップされています。

ここからは、子供達が通う学校や、死産の噂について見ていきましょう。

子供達が通う学校はどこ?

北川悠仁と高島彩の子供が通う学校は公表されていませんが、次の可能性が高いといわれています。

  • 長女:横浜雙葉小学校
  • 次女:慶應義塾幼稚舎

長女の受験については、高島彩が「カトリックの女子校へ通わせたい」と考えているとの報道がありました。横浜雙葉小学校は小中高一貫でカトリックの女子校なので、条件が合致します。

一方、次女は2023年に超難関の私立小学校へ入学したことが報じられていました。お受験対策が必須で有名芸能人が多く通う学校という点で、慶応義塾幼稚舎である可能性が高いのではないかとみられています。

子供を死産したことがある?

高島彩は死産を経験したことがあります。

結婚から半年後に第一子の妊娠が判明しましたが、染色体異常によって妊娠4ヶ月の時にお腹の中で亡くなっていることがわかりました。当時の辛い経験は、2014年に発売されたエッセイ『彩日記-Birth-』に綴られています。

また、死産から半年後には妊活を始めましたが、妊娠検査薬で陽性が出たにもかかわらず胎嚢が確認できない「化学流産」も経験しました。辛い経験を二度も乗り越え、死産から1年後に長女を妊娠・出産しています。

離婚危機があった?

北川悠仁と高島彩は次の点が原因で離婚危機に陥ったことがあったといわれています。

  • 宗教問題
  • 嫁姑問題
  • お受験問題

6年の交際を経て結婚した2人ですが、過去には夫婦間に亀裂が生じる出来事があったようです。トラブルの原因には、常に北川悠仁の母親の存在がありました。14年間の結婚生活の中で何が起こったのか、順に見ていきましょう。

宗教問題

北川悠仁の母親は宗教法人「かむながらのみち」の教主で、「北川慈敬」という名で活動しています。結婚までに6年もの時間がかかった理由には、「悠仁が35歳になるまでは結婚してはいけない」という母親の言いつけがあったそうです。

北川悠仁と結婚したかった高島彩は母親からの言いつけを守り、何度も身曾岐神社を参拝し、算命学の勉強もしていたといいます。しかし、高島彩が現在も入信していないため、離婚秒読みではないかといわれているようです。

嫁姑問題

北川悠仁の母親は、結婚の条件として高島彩が仕事を辞めて「かむながらのみち」に入信することを挙げていたといいます。

しかし、高島彩は結婚後に行われるはずだった教団でのお披露目集会への参加を拒否。仕事を続けている点でも、話が違うと嫁姑問題が勃発してしまったそうです。

入信しない代わりに高島彩が実家の目の前にある礼拝堂を買い取り、資金面で教団に協力したのではないかといわれています。

お受験問題

高島彩と北川悠仁の母親は、子供のお受験問題でも対立しています。

前述したように、高島彩が長女の入学先として希望したのは「カトリックの女子校」です。しかし、「かむながらのみち」はキリスト教ではありません。そのため、北川悠仁の母は教主である自分の孫を異なる宗教の学校へ通わせることに反対。結果的に高島彩が姑の反対を押し切って希望の学校へ入学させたそうです。

北川悠仁と高島彩の夫婦仲

北川悠仁と高島彩の夫婦仲は良好だと考えられます。宗教問題などが原因で離婚秒読みという噂もあるようですが、折り合いが悪いのは北川悠仁の母親と高島彩です。

しかし、母親が教主という特殊な家庭である点を考えると、嫁姑問題が勃発するかもしれないというのは北川悠仁の中でも想定内だったのではないでしょうか。

もし宗教や嫁姑の問題で夫婦仲もこじれているのであれば、離婚へ向けて準備を進めていても不思議ではありません。そのような動きはないようなので、夫婦仲は良好なのでしょう。

まとめ

今回は、北川悠仁と高島彩の馴れ初めについて解説いたしました。

北川悠仁と高島彩は、2005年9月30日に放送された朝の情報番組『めざましテレビ』での共演がきっかけで交際をスタートしています。6年の交際を経て2011年に結婚し、2人の娘に恵まれました。

北川悠仁の母親が教主を務める新興宗教が原因で離婚するのではないかという噂もあるようですが、現在も夫婦仲は良好だと考えられます。

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